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〜偶然は必然に〜 2年7カ月の軌跡

2018年3月25日 オーストリア ウィーン フォルクスオーパーの近くにある聖カニシウス教会にて フォーレ/小ミサ曲 、レクイエム全曲を振り終えた。

この演奏会は2016年に横浜・磯子の地で行われた「磯子フォーレ レクイエムを歌う会」が横浜での終演後に更なる飛躍の地である音楽の都、バロックの都の地 オーストリア ウィーンにて開催が決まり2016年より約1年間かけて猛練習を積んだ。2015年の夏フォーレ初練習からの期間は2年7カ月。

私も本格的になる20年振りになるウィーンの地は街全体が世界遺産に指定された事もあり目覚ましく変化を遂げていた。

ウィーンの街のシンボル的なオペラ座を中心にかつて城壁で囲まれていた山手線のような円形のリンクを中心にオペラ座を縦にケルントナー通りがある。日本でいう銀座の街のような雰囲気も多少あるが様々なヨーロッパブランドのショッピング街が立ち並び歩行者天国であるケルントナー通りを更に北へ向かう途中右手に シュテファン大聖堂がある。2018年今年は復活祭が4/1である為に市民は小学校から大学までもが復活祭前連休に入り、車道も渋滞があちこちにみられた。そんな中、私たちは現地の歌手との合わせを行い本番を迎えた。

聖カニシウス教会はウィーンの中心から北西にあたり ウィーン西駅から北部のハイリゲンシュタットまでの中間程に位置する教会である。やはり歴史を感じさせられる大理石の彫刻は更に響きを増し、我々の撥音を阻害するかのような残響に悩まされたが、Mario Andricの弾く巨大なパイプオルガンにコーラスの団員は一体感を持ち祈りを捧げられた。そんな演奏会になった。

レクイエムの第4曲目 ソプラノによるPie Jesuは清水あり紗によって歌われた。この曲は音域的にはソプラノ歌手にとって何の問題もない高さではあるが、私はフレーズ感と転調感を失わない程度のスローテンポに拘りMarioも賛同してくれた。天井近くのバルコニーで歌うソプラノの優しい響きが教会全体を包み込み 祭壇にあるイエスの目からは涙が溢れている錯覚に陥った。

このレクイエムはこのウィーンの地で亡くなった私の師であるテノール歌手 ヴィットーリオ・ジャンマルスコ氏への追悼の意が私個人の中にあり、前記事に記載した通りに 日本を出発した日が彼の誕生日であった事に飛行機の中で参加者多数が鳥肌が立った。

音楽の原点は言葉による祈り。フランス印象派の作品をオーストリアウィーンで演奏した我々は翌日にウィーン中央墓地に向かった。ウィーンはご存知の通り650年続いたハプスブルク家があるからこそ、その宮廷に仕えた音楽家がいたからこそ栄えた音楽文化である。ウィーン南部の空港に近いウィーン中央墓地にはこれら世に大功績を残した偉大なるマエストロ達が眠っている、サリエリ、ツェルニー、ヨハン・シュトラウス、ブラームスなど....,

なかでも今回また驚いた事は、中央墓地に訪れた3/26はベートーヴェンの命日であった事。そしてその横には彼を崇拝していたにも関わらず翌年に後を追ったフランツ・シューベルト。

思い出せば 無くなったヴィットーリオ先生は偶然にも私が大学時代に師と仰いでいた日本人バリトンの先生と偶然にも旧知の中であった事から始まり上記の状況に至るまで偶然にしてはストーリーが出来すぎているように感じるのは私だけではないはず。偶然は必然的にやってきた。

今回は復活祭を前に、20年越しに日本人のバリトン師匠と、それからヴィットーリオ先生と共に私をあの世から導くことをなさったのではないか。運命のイタズラにしては素晴らしいシナリオである。

そんな彼らに捧げるウィーンでの私の渾身のフォーレ作品であった。

2年7カ月の期間 関係した頂いた全ての方々に心からの御礼を申し上げるのと同時に これから本格的に着手をするJ.ラター 「レクイエム 」モーツァルト「レクイエム 」に向けて経験を活かし稽古を進めていきたい一心である。


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