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オーケストラは魔法のように素敵

プロ・アマに限らずオーケストラは本当に素敵だ。

小学生の頃母親に連れられて行った市民オーケストラの演奏会。そのオーケストラは当時アマチュアにも関わらず年に数回の演奏会を開いており、入場料もアマチュアならではの破格の¥500-プログラム選曲も次回の予告があるとお小遣いを貯め当日券売り場に並ぶ楽しみ。小学生の子供ながらにオーケストラ前部に陣取る弦楽器の弓の揃いや、色々なハーモニーを楽しんでいた。

その頃から魔力のようにオーケストラ(以下、略してオケと云う)に取り憑かれ購入したCD300枚以上、好きな曲では一曲につき平均4〜5枚演奏者の違いで持っていることになる。

先日、西池袋管弦楽団というアマチュアのオーケストラの定期演奏会の指揮者に招かれ メインではチャイコフスキーの交響曲第5番(以下、略してチャイ5という)を指揮した。このオーケストラはある大学オーケストラの卒業生が中心となり設立され第17回の定期演奏会を迎えた訳だが、昨年の10月横浜・磯子にて「磯子フォーレを歌う会」のオケに西池袋管弦楽団の団長がエキストラで入っており今回のイベントに参戦という流れになった。

もちろんオペラやコンチェルト(ソロ楽器とオーケストラの協奏曲)の経験はあるもののシンフォニー(交響曲)を指揮するのは初めてであり、オペラやコンチェルトとは違う楽曲の複雑さや楽器の特徴、奏法などを数ヶ月で勉強しなければならなかった。

例えば、弦楽器の弓使い。弓使いはボーイングと呼ばれ弓を楽器に対して下ろして弾くのがダウン奏法。逆に楽器に対して弓を持ち上げて弾くのがアップ奏法。もちろん同じ音でもこのアップかダウンによって出てくる音が違う。練習が進み、一つの音にアクセントが欲しい場合それを弦楽器に要求するとボーイングを変えなければならない事も多々。

オペラでは名旋律を歌手が鍛えられた肉声で奏でるがオケだけになると、言葉がついた歌手の変わりを各楽器が受け持たなければならない。弦楽器や木管楽器の細かい音の打列などは歌手の早口言葉の打列と同じように拍の頭を揃えて軽くレッジェーロに弾かせる。そのぶん周りの伴奏型の音量を抑える。金管や木管楽器も歌でいう「タァーン」の「ア」母音を徹底して吹いてもらう事により音形がマルカート(粒が揃いハッキリする)になる。

演奏中に自分より右側を見るとヴィオラ陣が刻みの音型を狂わないように気をつけてやっている。しかし、そのヴィオラの方を向くだけで瞬時にヴィオラ陣がもっと頑張ってくれ、より深く響く音を出してくれる。身体の向きを変えるだけだ。木管楽器が二本違う楽器で同じ旋律を奏でる時に私の左手、人差し指と薬指を二本同時に使うだけで一本の指だけではないエネルギーになる。嘘のような話だが、これは60人のオケの前の指揮台に立たないとわからない話だ。

60人が同時に演奏する箇所は曲中数カ所あるが、テンポが速すぎたり遅すぎたりすると指揮のテンポに合わせるのも相当時間が掛かる。20キロで進んでいる電車と100キロで走っている電車に急ブレーキをが掛けるのと同じだ。20キロで走る電車は急ブレーキを踏んでもある程度は止まれるが100キロ走行の電車はそうはいかない。車にしても同じだろう。軽の小型自動車は小回りが利くが、大型ダンプはそうもいかない。アッチェレランド(徐々に速くする)箇所などは、これらを想定して記譜の少し前からアッチェレランドを始めるように努めた。これが正解かどうかはわからない。私のやり方だ。ひとつ言えるのは、こういうやり方をするとオケが集中し一つになれる事。急にアンサンブルをして合わせようとする気持ちがどこからとも無く生まれてくる。これがオーケストラだ。

理想のオーケストラは人間関係すらも集結させ一つの小さな社会を築くと言っても過言ではないもしれない。何て素敵な世界。

次回は更に更に深い社会と音楽を纏めていきたい一心である。


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