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トレーナー星野均先生からのメッセージ

1980年代、その時代に私はウィーンに留学をしていました。西ヨーロッパと東ヨーロッパがはっきりと分かれていて、ベルリンには東西を隔てる壁が厳然とそびえ立つ、そんな時代です。

ウィーンはイタリア程は雑然としてはおらず、西ドイツ程には整然としていませんでした。心地よい活気のあるところです。街中にはシュトラッセンバーン(路面電車)と二階建てバスが走り、地下鉄の路線はまだ数が少なく、貨幣はシリングでした。

11月頃から3月頃まではいつも雪が降り積もっていて、ずっと氷点下。私が経験した最低気温は-26℃です。これは寒いのを通り越して、痛かったのを覚えています。夏は爽やか。30℃を越える日は数日しかなく、湿度が低いので快適に過ごせました。特に6月は最高!日本の梅雨とは大違いですね。

旧市街地は昔の面影をそのまま残している街並みで、モーツァルトが楽しそうに歌い、ベートーヴェンが難しい面持ちで歩き、シューベルトがカフェでお茶をしている、そんな風景が何の違和感もなく感じられる街です。街の風景、人々の息吹、生活の隅々にまでいつも音楽がある、まさにウィーンは音楽の都そのものでした。

ウィーン国立歌劇場には足繁く通いました。80年代は音楽史に燦然と輝く三大テノール(パバロッティ、ドミンゴ、カレーラス)が君臨し、その3人の出演しているオペラには必ず足を運びました。素晴らしかったです!生まれ代わって、再び音楽をする事が叶うならば、テノール歌手になりたいですね。

そして、オーケストラの演奏会。ウィーンには世界の一流オーケストラが集い、それこそ覇を競うが如く演奏会が催されていました。ベルリン・フィル、フランス国立、ニューヨーク・フィル、ロンドン・フィル、チェコ・フィルなどなど、多くのオーケストラを聴く事が出来ました。

そして、その中でもやはり特筆すべきはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団!熟成し、厳然としているかと思えば自由闊達。チューニングはしない、時には指揮者の指示にも従わない程に奔放。でも物凄く良い響きで、素晴らしい音楽を展開して行く、とにかく凄いオーケストラです!

そのウィーン・フィルの中でも強く印象に残っている演奏会が2つあります。

1つはヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、モーツァルトの「レクイエム」。カラヤン最晩年の演奏会で、すでに歩行もままならないような感じで靴はスニーカーを履いていました。団員の手を借りて指揮台に上がり、始まるまでは立っているのがやっとの様子で、これで指揮が可能なのか不安でした。ですが、ウィーン・フィルの団員達も聴衆も何処かピリピリとしているのです。当時の私の師(ウィーン・フィル首席クラリネット奏者)も「バーンスタインは楽しい、カラヤンは怖い、大変に怖い」と語っていました。団員にとっても恐怖の対象だったのでしょうね。演奏が始まると不安は跡形もなく消えてしまい、身じろぎも出来ずに聴き入りました。この感覚を言葉に表すのは難しいです。涙が止まりませんでした。モーツァルトの深遠を垣間見た気がします。

もう1つの演奏会はカルロス・クライバー指揮、ベートーヴェン作曲「交響曲第7番」。ウィーンの聴衆は品良く演奏を聴いて、静かに堪能している感じで、歓声を上げたりするのは一部の熱狂的ファンと外国人観光客の印象でした。ところがクライバーは圧倒的な人気があり、舞台に登場しただけでもう大騒ぎ。ウィーン・フィルもノリノリで、熱く奔放な演奏の後は大歓声、大熱狂!聴衆全てが立ち上がり、延々と続くカーテンコール!もうとにかく凄いことになってしまいました。私も何度も「ブラボー!」と声を張り上げてしまいましたが…

音楽を身近に感じて、音楽そのものに触れる歓び。人々が熱狂して歓喜を叫ぶ。また張りつめた静寂の中で、時の流れがゆっくりと過ぎて行き、音楽そのものに浸る歓び。これが聴衆の幸せです。そして、その歓びを伝えるのが演奏者です。終曲を迎えた瞬間に、ほんの少しの間をおいて放たれる聴衆全ての歓声と熱気!これは演奏をしたものにしか分からない大きな歓びです。ぜひ皆さんも味わってみませんか?


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